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インタビュー

和田功
インタビュー Vol.4
和田功
信州大学繊維学部 繊維・感性工学系 感性工学課程
商品計画/プロダクトデザイン領域 教授/プロダクトデザイナー

千葉大学工学部工業意匠学科卒後、パイオニア(株)デザイン室、ソニー(株)デザインセンター、ワダデザイン代表を経て2012年信州大学感性工学課程着任
プロダクトデザイナーとしての考え方や、大学で教える傍ら関わっている地域資源のデザイン開発、デザイン戦略などによる魅力あるプロダクトとしての磨き方と可能性についてもお話を伺いました。
Q: 和田先生は、千葉大学工学部工業意匠学科のご卒業で、パイオニア、ソニーを経てご自身のスタジオを開設されるなど、一貫してデザイン畑で活動されていますが、そもそもデザインに興味をもたれたきっかけとは、何だったのでしょうか?
A: 小さい頃から、例えばラジオを見ては、なんでこんな格好にしちゃうのかな、建築物を見ては、なんでこんな殺伐としたものにするのかな、自分ならもっと変えられるのにとよく思っていましたね。小学生のときは友人と四六時中、飛行機や潜水艦などを描いて、ほらこんな潜水艦が、飛行機ができたよと見せ合ったりをずっとやってました。製品にしろ建築にしろ、自分ならもっとよくできるのではないかと考えていて、それが原点だと思います。
Q: 現在、信州大学で感性工学という先進的な研究をされているのは、そうした興味、関心の発展形なのでしょうか?
A: かつて私が企業で手がけてきたデザインは、注目されたものもあったけれど、長い目で見ると一瞬で終わってしまうものが多かった。これからは、賞誉など無縁でも、民間の発想ではできないようなものを作れれば、それを大学の研究としてできればいいなと思っています。例えば、最近取り組んでいるものに、風を明かりに変えるプロジェクトがあります。草原、あるいは稲や草が風になびくとき、風という目に見えないものが形として現れるわけですが、それを明かりに変換するというデザイン製品です。これが、都会の人たちのストレスを軽減するものにならないかと思っています。都会に草原は作れませんが、計画上、この製品は鉛直面にも設置できるため、ビル風という不快な風も夜には光を発しながら揺れ動く、つまり不快なものが人の心を和ませるものに変えられるという仮説をたてたわけです。電源供給なし、つまり自家発電で風の流れを光にすることは技術的にはすでに可能、大学では、それが本当にストレス軽減になるのか、例えば心電計など使って検証するノウハウもあり実験もできます。でも、こういったことは民間ではできません。モノ作りはこれまで随分と経験してきましたので、これからは、そうした知恵を若い人たちに伝えていきたいと思っています。
Q: ご自身のスタジを休業してまで、教壇に立つというのは、それだけ魅力があったということでしょうか?
A: 商品企画ができるデザイナーとして活動してきたわけですが、キャリアの終盤で、やりたいことを見つけたかったが、それがなかなか見つからない。そのときに、民間でできないことができるかもしれない、学生に何か引き継いでもらえるかもしれないと思ったのです。そういう場が与えられただけでも幸せかなと。
Q: 現在取り組まれている研究について、いくつか教えていただけますか?
A: 予算が一切かからないので、自分でやってみようと思っているものに「道具」の研究があります。道具は、そのコンセプトは星の数ほど出てくるのに、設計のための開発の手法となると、実は体系化されていません。例えば、ボールペンですが、買うときは文房具屋さんなどで、手にもってバランスや肌触りをみたり、書き味を試してみたり、いろんな目で選びます。ところが、使っているうちに、文字とか絵に集中し始めると存在が消えていく。出来の悪いボールペンで書き味が悪いと、人間工学的に気になってきますが、いい出来の道具は意識から存在が消える。これが非常に良い道具の1つの例です。一方で、出来の善し悪しとは別に、価格は一本百円のものから、何万円もするものまである。そういうところからちょっと体系化してまとめて見ようかなと考えています。ただ、これを整理していくと、ボールペンとは逆に、常に意識して使う道具もあることがわかります。例えば楽器は、演奏して音を聞いてあるいは感じて、もう少し強くとかもっと繊細にと瞬時に手に伝えるわけです。感性工学的にいうと、無意識なんだけど高度な成果を得る、こうした楽器のようなものはほかにもあります。例えば、パソコンだとグラフィックとか、写真の合成のソフトをキーボードやマウスじゃなく、布を触って押したり広げるような直感的な操作、感覚で操作するというようなものが仮にできれば、こんな装置が必要ですよという提案ができればいいなと考えています。
Q: スポーツの道具とかもありそうな話ですね。
A: 確実にあります。うちの大学にはスポーツ科学の先生が、スポーツ用品の開発を感性工学的にやっていらっしゃる。こうした研究は運動系、例えば早稲田の理工や人文系の学部でされていますが、それほど多くない。本当に人間に沿った道具というのは人間工学的な意味もありますが、感性工学的な意味もありスポーツ科学も入ります。感性工学は人間工学の発展形ですが、時として感性工学は人間工学を無視することがあるというのが大前提だと私は思っています。つまり、人間は使いやすいものだけを欲するわけではないということ。人間の欲求は不可思議です。一概にひとつのスケールでこれはこの人にとっていいはずだとは言えない部分が必ずあって、この不思議な生き物を扱うのが感性工学だと私は思っています。
Q: 学生たちに伝えたいと思っていることとは?
A: 製品企画って、ロジックできちっと考えていくものと、ある時ポンとひらめいて出てくるものがあります。ひらめきが本当にいいもので、ターゲットユーザーが使っているシーンまで思い浮かべられるというようなものはすぐに使えますが、ほとんどのひらめきは、その瞬間は価値のないものと思われるものが圧倒的に多い。そうした頭の中に点在するアイデアも、時間が経つにつれ、意識しないまま結びついていくことが、最近の脳化学で分かってきています。「デフォルトモードネットワーク」というのですが、何週間も、場合によっては何ヶ月もかけて、意識して考えていないのに、あるとき一気につながっていく。例えばおじいちゃんの誕生日にマッサージ機を買ってあげたいと思っているときは、そういうスイッチが入っているので、電気店や家具店へ行くと目に留まる。ところが、そういうスイッチが入っていないと、同じものを見かけても気づかないというのと同じことです。そういったことの理解が今のデザイン教育には大事かなと思っています。デザイン開発、企画発想の手法は無数にあって、それもきちんと紹介して部分的には体験してもらいたいですが、バラバラの星が、いつか星座のようにつながるようなアイデアもあるということ、その大切さも伝えたいと思っています。
Q: 地域活性化に関心をもたれるようになったのは、何かきっかけとか気付きがあったのでしょうか?
A: 信州大学、上田の町に来たということが一番大きいんじゃないでしょうか。今までこんな山に囲まれたところで暮らしたことはありませんでしたし、文化圏が違うというのは生活すればすぐに気がつく。だったら、そういう価値を吸い上げようとは思ったのですが、それが地域の活性化にすぐに結びついたわけではありませんでした。ところが、いざ学生といっしょに研究を始めてみると、単純に「感性デザイン」とやってしまうと、方向性がばらばらになってしまう。そこで4つの枠を用意したのですが、そのうちのひとつが地域のことを考えるという、地方創成、地域活性化につながるものだったわけです。せっかくここにいるのだから「上田でないとできないこと」とは何かということで、そこから抽出できるエッセンスは、うまくいけば北海道でも沖縄でも有効なはずです。というわけで、地域活性化への取り組みは、自然発生的なものだったのですが、意外と関心が高く、中には休学して一旦その活動に取り組む学生まで出てきた。今は大事なことだと考えられるようになりましたし、こういう指針を出してよかったなと思っています。
それから、大学での研究、教育活動とは別に、県内の商工会議所や長野県デザイン振興協会から、地場の産品の製品化などの企画、モノ作りについての相談、依頼を受けたりしていますので、こちらは普段の生活の中で地域貢献できればと思って協力しています。
Q: 和田さんにとって地域性とデザインの間に、何か密接なつながりというものはありますか?
A: 私が受けた教育やキャリアからすると、地域というよりは社会活動、仕事をする場です。パイオニアではパイオニア独自のものを作るわけですから、パイオニアらしい商品は何か、ソニーにいたときはソニーらしさとは何かを考える。ただ、それでは「ソニーらしさ」とは何かと言おうとすると、実は適切な言葉が見つからない。現在に置き換えると長野らしい商品とか、浜松らしさとなるのかもしれません。
実は浜松では同じような体験をしたのですが、長野に来てみると信州らしさというのがとても分かりやすくある。問題は、地元の方がそれにあまり気がついていないことで、山の風景だけでも大変な宝物だと私は思うのですが、そういう意識がない。東京から来てここで暮らしたい、仕事をしたいという人がいて全然おかしくないわけです。実際に本社をこちらに移転したり、移住してくる人が増えています。
Q: 和田さんにとって、信州とはどんな場所ですか?
A: 信州は、日本のへそのような場所にあって、かつては中山道という重要な動脈が通っていました。ですから、おそらくいろいろな文化が持ち込まれて、ゆっくりと今の信州らしさができてきたのだと思っています。ところが、ロケーションが山に囲まれているために、ここで醸成されたものは外に出にくい。つまり、外からはたくさん情報が入ってくるが、外には出ていかなかった。例えば山菜ですが、ここでしか採れないもの、ここでしか味わえないような食べ方が一杯あるんです。ただ、最近ではそういうところが壊れてきているので、新しい形態として外の血が入ってきて、コミュニティとして垂直型が水平型に変わってきているように思います。また、デザインの歴史という観点から言うと、長野県は柳宗悦の民芸運動の影響がとても色濃く残っているところです。
Q: 地元のコミュニティ、人々との交流などはいかがですか?
A: 上田市はかつて、養蚕の町で施設が残っており、それを文化施設として保存すべきかどうかということで、地元の方と一緒に話をする機会があります。一方で、新しい産業を興すという部分では、地元の商工会議所と一緒に企画を考えるということもやっています。外からやってきた私のような人間は、そうやって地元の方と交流することで初めて気づく部分があります。
Q: 和田さんにとってのふるさととは?
A: 人生の中で一番ゆっくり時間が流れていた頃に暮らしたところだと思います。それは、生まれてから中学、高校くらいまでの時期で、私は東京の荒川生まれですが、5才から千葉の稲毛に移ってそこで20年近く暮らしましたので、そういう意味では稲毛なのかもしれません。ただ、現在の実感としては、20年以上連れ合い、子供と一緒に暮らしている浜松ですね。今では母親も呼び寄せて暮らしていますので、そういう意味では、今は浜松が実家になってしまっています。でも今暮らしている長野は人間関係が深いと思います、まず1日24時間の時間割が違う、仕事に全く関係のない付き合いの時間が、情報整理や通勤等変わりに入ってくる。定年を迎えて妻がこちらに来てくれたら、長野で暮らしていきたいと思っています。長野がふるさとになるかもしれませんね。